NHK Eテレ『人新世~とある村にて~』
視聴メモ
いつかは、新しくゴミの地層が生まれるのかもしれない。小さな小さなマイクロプラスチックは、ひっそり息を潜めながら土に海の底へと日々沈んでいく。
毎朝ゴミを乗せたトラックを待つ人々。
彼らの『仕事』は『ゴミの分別』『乾燥』
それで日銭を稼ぐ。
わしゃわしゃと聞こえそうな山の中で、鉄分のあるもの、コードがついているもの、大きなゴミを黙々と探していく。彼らは、『プラスチック農家』だと呼ばれているそうだ。
トラックは、20分ほどの距離を走ってある場所にたどり着く。
『乾燥したプラスチック』は、揚げ豆腐工場の燃料になるのだ。
無数の豆腐を入れた大きな鍋の下でごうごうと炎の中にゴミは飲まれて煙を巻き上げていく。
(正直、トラックはまたリサイクル工場へ行くのかな……と安易に思っただけに食品が出てきて衝撃だった)
物静かなナレーションは、働く彼らの実情を伝える。
脳梗塞に倒れた妻を介護しながら生きていく為。
次男を高校まで進学させる為。
農業では生活が成り立たず、一人妻子を残し出稼ぎする為に、孤独にたどり着いたのは、この工場のある場所だった。
そんな12時間も懸命に働く彼らでも、インドネシアの貧困ラインのギリギリ入っているような貧しい生活なのを自負している。
なんで苦しいのか?辛いのか?
妻を介護する男の人がインタビュアーのとある質問の中で笑顔が消えて、涙ぐみ堪え始め謝る姿が、印象的で胸が痛くなった。
不十分な廃棄物処理がもたらす害を調べる人や煙を不安がる人もいたが、二人の表情は異なって見えた。前者はモニターを掲げて自然環境保護と人体に対するリスクを強く訴え、後者は、夫の故郷だと不安ながらも諦めているように見えた。
くたびれた肌に張り付くような服の彼らから、さっぱりした服装の学者や学生達に場面は切り替わる。
イギリス、日本
『どうすればこの不平等なサイクルを止めれるのか』
ゴミを破棄するのは、超大国や新興国で第二次世界大戦からの復興から、発展の為に徐々に徐々に地球を作り替えていった事。
ゴミは、ゴミ箱に入れたらもう目の前からなくなったも同然。キレイな都市はいつまでもキレイなまま夜でもキラキラと輝いている。
その発展の為の矛盾ツケを払うのは決まって、発展途上国の中にいる低賃金の人達だという事。
いつの間にか必要ないのに財布のヒモが緩んで、全自動消費装置になってしまっている事。
再び、インドネシア
ゴミの村の中にいる住人の言葉が繰り返される。
『全ては裏道で出来ている。でも、我々は望んでいない』
ある学生が人新世についてのディスカッションの中で技術革新でお互いの長所を高めていくとあったが、ペットボトルに石鹸のようなものと乾燥ゴミを詰めて固形燃料にして申請しようという試みを今まさにしている場所で、ちまちまとしたゴミで貯金を、油を捻出する場所で、その日の生きていく為の稼ぎが必要なのに、『革新』する為の時間は果たして残されているのだろうか……。
カメラは、ずっと工場の前に佇んでいる少女に変わる。
彼女の母親は、裁縫工場で努めていたが倒産し銀行から家を差し押さえられたという。
内心では少学校に行きたい彼女と行かせたい母親。どちらもお互いの事を心配して、負担にさせたくないように見えた。
最後に彼女は、『大人が幸せになること』を望んだ。『大人が幸せになれば、子どもも幸せだから』と。
工場の取材は、他の工場の抗議により中断を余儀なくされ黒い画面へと変わった。
視聴した後、ノルマンディー上陸作戦視聴以来。
しばらく言葉を出せない位の衝撃を受けました。
責任はどこにあるのか。
発展を望む人間の世界のシステムか、彼らの生きる国の運営が悪いのか、そこに生まれたからなのか。
本当に毎日暑くて手軽なペットボトルをガブガブ飲んでる自分の姿と照りつける中でゴミを仕分ける彼らの実像がとても対照的にパッと頭に浮かびました。
自分の生活を見直さなければな……と、切に感じた番組でした。
知らない事を知れた事に、ただ今はありがとう、と言いたいです。
ただ、もちっと早い時間に流してもいいんじゃないか?