U Spin

日々憂憂

プロパガンダが闊歩する

BGMは、『オーデルナイセ(おどりゃんせ替え歌)』

あっという間に世界がきな臭くなって、日本も巻き込まれるのではという杞憂があちらこちらから聞こえてくるようになった気がします。

情報が混沌と溢れていてネットの声が反映されやすい現実社会。ソースの意図や思想まで汲まないと本当に惑わされやすい世の中になったな、と。

 

中央日報の岸田総理訪米記事について

『歴史的転換点~』のくだりを読んでみて、やっぱり最初に疑問が浮かぶ。

ただでさへ、しこたま支持率低いのに『戦争可能』という爆弾発言して大丈夫なのか?

自民党内部が裏金問題から締まり役もおらず散り散り。

解散が近づいてきて、選挙もマジで危ぶまれる状況で、故人の祈願であれども、今それ言う必要ある?

(だからといって、すぐに代替出来るような党あるか?)

党員も議員からも恨まれるのお構い無し?

広島県民だから、次の大戦でどんな兵器が使われるか想像出来ない訳がないでしょう??

いやいや、中央日報って、どこよ。韓国??

緩衝国??えっ、日本を巻き込まなきゃいけない位の状況……やめてよ(中ロ近づいてるの分かるけども)

と、私情含めての感想と憶測をあげて見ました。

これに答えがないのは、充分承知なので、とりあえず11日の正式発表を待つのが良いかなと思います。

とりあえず、アメリカ土産は期待しない、と。

もう、すっかり踊らされてるな~と思いながら。

明日の味噌汁の具材を考えて今日は寝ます。

おやすみ

 

 

 

無関心

あまりにここ最近、何事にも無関心過ぎて外に出た。乾燥の季節で、風に当たると砂も混じるような錯覚をして喉が痛く感じる。

行きはよいよい、帰りは急げなので少し早歩き。

町をぶらりしながらカラオケでワンドリンク分だけ歌って出て、路地の重なる広めの商店街をウロウロ。

老若男女、外人もたむろしていて、どことなく足取りはゆっくりしているようだ。古着屋や100均一、老舗の通りを抜けていく。欲しい物は特にない。

空は決して晴れてる訳ではない曇天模様。桜がグレーかかってくすんだように見えても目一杯に咲いているのに感心して、あぁ春なのかと一息。

地元で有名な回転焼き屋さんで、あぁそうだと祖母のお土産を調達。店先でもくもくと作る職人さんを横目に、出来立てであんこぎっしりの饅頭に、袋から漏れる蒸気に熱を貰う。

触れればふにゃりと柔らかい食べ物から頂く熱は、とても心地がよい。

それから思い出したように、洒落た小さな石屋さんに足を踏み入れる。キラキラと丸みのあるジュエリーから、ゴツゴツと岩肌そのものから切り取ったような原石まで、皆礼儀正しく息を潜めて並んでいる。眺めて手に取りながら、割賦のいい優しそうな口ひげの店員さんと「久しぶりですね」と挨拶される。……来店したのは、何年か前だったのに覚えてくださっていたのに、内心恐縮してしまう。

あの頃は、時世について考えてなくて、職業訓練校後の進路でいっぱいいっぱいだったなと回想する。

紫、桃、緑、青、それの合間のなんとも言えない深く淡い彩りに、不意に心が動かされた。

あまり悩む方でもないが、財布と相談して、いつものラブラドライド原石、土色の魂みたいな形の石•ストロマトライトとヴァースアメジストという粉砂糖をまぶした頭をした可愛い小指サイズのアメジストを購入。小さな物言わぬ命がセージの煙をくぐって、梱包され、華奢な紙袋の中に納められる。

石を選ぶ時は、その意味が今の自分を表していると俯瞰できるので好きだ。また、ストロマトライトは地球の起源に関わる石との事で笑顔で語る店員さんと話に花が咲く。

そして、帰りがけ、そのお店の石についてのメッセージを見ると、最近冷ややかな自分を戒めるような言葉があった。

内心、平和なのはあと2~3年ではないかと思っていた節があった。調べれば調べるだけ、時代の逆行をひしひし感じるようになっていた。

それが、少し気持ちの紐が緩められた気がした。

 

たまに、外に出るのもいいかもしれない。

今は、まだ限られた平和な時間の中にいるのだから。

 

 

 

 

 

 

戦争と人類

『戦争と人類/グウィン•ダイヤー』

 

こんにちは、今日は平和ですか?

手の届く範囲にいる人は安心そうな顔をしていますか?

目の前にいる人は、本当に生きていますか?

 

他に沢山の積み読あるけど、ただこれを書きたいが為に、ブログを再開してみました。

きな臭い情勢に置かれている昨今、年末に書店で購入したのを、最近になってようやく着手した一冊。

 

2章『実戦のありさま』より

「戦闘に慣れる」ということはない。戦場では、一瞬一瞬、極度の緊張にさらされ、それが強く長く続くせいで人間が壊れてしまう。

(戦闘の心理的影響に関する米陸軍の調査)

個人的に衝撃を受けた内容がとても多かった章で、これから先読める?と不安にもなった所。

これに合わさっていく将校らの発言と兵士になる為の過酷さにうっとなりながら、所詮、私は、テレビ画面に映り戦う彼らを、今まで結局他人事として見ていなかったのだと深く反省させられました。

また、終盤には故に射程距離が伸びて抑圧を失いゲーム化していく戦争にどう向き合っていかなければいけないのかを問題提起してくれます。

その実相からの戦争の起源へと掘り下げる流れがスムーズで思いの外、それからサクサク読めたのも、作者が教鞭を取っていたからだと思います。

こうすればこうなる(被害など)。~で、なければならない(それぞれの在り方など)。けど、それは簡単ではないよ。と、一つ一つのテーマに合わせて、簡略化された図と写真も合わせていきながら、しっかりと丁寧に著述してくれてるのは、いち読者としては本当にありがたい事であり、裏を返せば被害者意識が強い平和教育へのアンチテーゼにも感じました。『平和』について、他国の『戦争』そのものの歴史的な側面などのチャンネルを増やす事で、日々のニュースで感じる事、考える事も違ってくる。違いに気づいて、深く知らなければと思ってくるのだ、と。

決して何が『正しい』か分からない世の中で、不安の闇が覆う世の中で、終章につれて作者の本音と使命感のような箇所は、本書のタイトルの綺麗な伏線回収にも思えます。

自身の無知と無力さを知る、今だからこそ読んで欲しい一冊です。